「彼」は強かった。
元より人並み外れた体力を持ち、頭脳が切れ、それを扱うだけの能力があった。さらに力に溺れることなく、鍛錬を怠らなかった。実家は幸いにも下級ではあるが貴族だった。能力主義の王の制度のおかげで彼は若くして王宮の騎士団長にまで上り詰めた。
そして幾年かの歳月が流れた。王に仕えながらも、彼の力は衰えずますますその能力は飛躍していた。
そんなある日、王から国中に向けておふれが出される。
『常世の闇の森深くに住むという魔王を倒したものに褒美と共に勇者の銘を授ける』
自分というものがありながら何故……
過去最強と言われるこの国の騎士団をもってすれば魔王鎮圧も可能だろうと……
そう彼は王に落胆した。
彼は周りが止めるのも聞かず、幾人かの騎士団の仲間と共に魔王討伐へと向かったのだった。
だが王は賢明な判断を下していたのだ。
彼はその時、魔王というものが分かっていなかった。
本当の恐怖は森に入ったとたん始まる。
幾つかの森に仕掛けられたトラップで仲間が一人、また一人と脱落して行く中、彼は魔王がいるとされる城を目指してひたすら歩き続けた。森には物理的なトラップの他、偶然出会った魔物との戦闘、幻覚を伴う毒花が大量に繁殖していた。仲間がついに怯えて引き返すことを提案したときも彼は黙って見送った。彼は引き返すわけにはいかなかった。魔王討伐、これをすれば勇者という最強の名誉を与えられる。彼は欲に目がくらんでいた。
そうして7日間、森の中でさまよい続け非常用食料も底をついた頃に声が聞こえた。
「あら? またぁ? 人間って本当に次から次へと沸いてくるものなんですね」
一匹の小さなブルードラゴン、リコレッタだった。
「とりあえず、見逃してあげますから出口はそっちです」
あー忙しいとリコレッタは彼に背を向けた。
リコレッタは彼を一匹の虫のごとく払ったのに対し、彼はリコレッタを非常食と認識した。
何度かのピンチを共に乗り切ってきた相棒の剣を迷うことなくブルードラゴンに振り落とした。
「おい、リコレッタ。……何をしている?」
剣を素手で軽く受け止められたことに彼は驚愕した。
仮にも騎士団長である。その剣筋には鋭利で素早く、獲物と思ったものには逃さない絶対の自信があった。
「マオ様!」
小さな蒼い竜が言ったその言葉にさらに彼は驚いた。
魔王というからには男性で黒いマントなどを被り、頭には仮面をつけてそうなイメージをしていたが、見ると小さな少女ではないか。
いや、ただの少女というには語弊があるかもしれない。
風にたなびきキラキラと光る長い黒髪を持ち、ビスクドールのような完成された顔立ちにその少女から大人へと確実に近づきつつある魅惑的な肢体を持つうら若き少女。
それだけならばただの綺麗な者として扱われるだけだが、彼女にはさらに王者のような威圧感が何処からともなく溢れていた。
さらに見るものが見ればすぐわかる、強烈な魔の匂い――、彼女は完全に人間側にとって「悪」だということに彼は何故か残念に思えた。
「おい、人間。リコレッタに手を出そうとしたな?」
その一言に。一瞬で変わる雰囲気に。本能的に彼はヤバイと感じ取った。
反射的に逃げ出そうと背を向ける彼よりも早く、彼の右腕を手に取り次の瞬間ボトリとマオは何のためらいもなく引きちぎった。
「うぁあああああ!!!」
彼の患部からは沢山の血があふれ出し、一気に一面は血の海と化した。
「マオ様!! もういいですから!」
リコレッタはさらに追い討ちをかけようとするマオの胸に飛び込んだ。
「しかしだな……人間とはやっかいなものだからな。完全に滅ぼさんと」
彼は恐慌状態に陥っていた。その場で跪き、患部を必死に押さえて止血しようとするが十分な衛生材料もない今では手を押さえることしか出来ずうめき声をもらすのみだ。
なんで騎士団最強と呼ばれる自分がここまでコケにされているんだ……と彼は血走った目でマオを、いや魔王と呼ばれる者を見つめる。
その目には緋色の絶望が映し出されていた。
「マオ様、たまにはご容赦する心をお持ちください。彼は十分に罰を受けています!!」
リコレッタはなおもマオにストップをかけ、彼を一目みると逃げなさい!人間!!と退却を促した。
彼はその魔物が何故自分を許したのかは分からないままだったが自分の命が第一と一目散に逃走した。
後に残されたのはマオとリコレッタのみ。
ざぁあと血臭を洗い流すように森を駆け抜けていく新鮮な突風にマオはつまらぬなと一言呟くと自分の居住地である城へとリコレッタと帰っていった。
←back/index/next→